「発明塾®」へようこそ!: 塾長の部屋(24)~「差分を止揚する」クリエイティブな議論の作法

2012年11月17日土曜日

塾長の部屋(24)~「差分を止揚する」クリエイティブな議論の作法

다녀왔습니다.

 僕の仕事(ソウルでのStar-Inventor-MTG)の関係で、今週の発明塾はお休みでしたが、金曜日の立命館大学の講義は、通常通り開催しましたので、まずはその報告から。


 前半の課題(技術マーケティング)を終えて、若干人数も少なくなっていますが、後半の講義(発明)を始めました。僕は、大学生には2つの権利があると思っています。彼らはその権利を、お金を払って購入しているのです。


①まじめに講義を受ける権利

②講義を受けない権利(来ない権利、遅刻する権利、早退する権利、寝る権利)

どちらをどう行使してもらっても構わないのですが、一般的な法治国家の原則である「他者の権利を制限しない範囲で各自が権利を追求できる」という原則は、大学でも同じです。つまり、


・寝ても構わないし、遅刻しても構わないが、勉強したい人の権利行使は「絶対に」妨げない


ことを徹底してもらっています。ですので僕は、遅れてきた学生に、挨拶程度はしますが、再度説明することはしないし、寝ている学生を起こしてGrワークに参加させることもしない。真面目に受けている学生の権利を「著しく制限する」からです。


 昔、京都大学では豊田先生という有名な法学の教授がおられました。彼の初回の講義はいつも満席。理由は「単位はあげますから、授業には来ないでください、皆帰れー!」という、たった一言を聞くためです(注)。彼は、本当に勉強したい学生だけを残して、淡々と講義をしたそうです。


 すべての講義がそうである理由はないですが、僕は上記のスタイルを貫いています。もちろん、面白い講義をする努力もしていますが(それは受けてもらえれば分かる)。理由は一つ。


「市民として社会で生きていくにおいて一番重要である、義務と権利、の概念についてよく理解して欲しいから」


自由とは「積極的」なものであり
それには義務が伴う

 僕は、かつて高校生に英語を教えていましたが、英語を学ぶことがすべての学生にとって意味があるとは思っていませんでした。ですので僕は「英語を通じて、哲学、経済、環境、国際政治について学び、あるいは生きる意味について考えてもらう」ことを、僕自身の英語教育の目的としていました。教材には古今東西の名文、最新の記事、音楽などを用いて、独自のテキストを全て自分で作っていました。もちろん定期的に行うテストも、全て自分で作成していました。教育の基本は教材であり、それを正しいの哲学の基に作成することが、教育の一番重要なポイントだと、今でも思っています。


 その考えは、いまの弊社の発明教育、知財教育にも受け継がれています。


 脱線失礼。


 だから、僕はこの「発明講義」で、知財や発明について「だけ」教えるつもりはありません。何を教える場合にも、ほかのあらゆることを教えることができるし、そうすべきである。これが僕の教育哲学です。


 理由は「教養教育の目的は、視野を広げることだから」です。僕の講義は、どの専門にも属さない、教養的科目だと思っています。実際、理工系、文系、大学院生、あらゆる人が受講できるように、科目設定されています。


 なので、僕はこの講義のルールを通じて「ロック、ルソー、ホッブス」などがその著作で述べている法哲学や、法の精神について学んでもらいたいと思っている。また講義の中で、経営、経済、語学、論理的な文章の書き方、をはじめとした様々なことを教えたいと思っているし、実際教えている。例えば今回の講義では、


「クリエイティブな議論において一番重要なのは、自分と違う意見や物の見方に出会った時、『間違っている』として排除するために論理的思考を使う(差分を探して批判する)のではなく、『自分の思考を補完するために』論理的思考を使う(差分を取り込み、止揚する)ことである」

ということを教えた。これは、特に海外の人たちと、協力してなにか創造的な作業をする時に、極めて重要になってくる。よく、論理的思考を「揚げ足取り」「批判」のために駆使して、相手との議論に勝つことを良しとする人がいるが、僕にはそれは生産的なことには思えない。相手との差を「どう使うか」、それが「創造性」であり「生産的な思考法」だと思う。ディベートの技術というのは、自分の思考を検証するために使うものであり、他者を攻撃するために使うものではない。

「カナヅチを持つと、なんでもクギに見えてくる」

論理的思考能力を持つと、他人のアラを探したくなる。でも、よく言われるように、

「二人がいつも同じ意見であれば、どちらかは不要」

なのです。僕は「見方の違い」を糧にする事が出来る人材が、これからの世界を「より良く」してくれると信じている。

 最後に、今回の講義に関する学生さんのアンケートの一部を共有しておきましょう。今回の講義では、例の10円玉ゲームと浮世絵ゲームをやりました。

「自分とは違う視点を、周りの人が持っていることに驚いた。視野が広がった。」
「物事をありのままに見るということの重要性が分かった。」
「自分が、とても偏った物の見方をしていることがわかった。」
「無心になって発想すると、意外と色々思いつくことができた。」


※注) ちなみに僕は、その初回にすら出ていない(笑 が、もちろん単位は持っている(笑。