「発明塾®」へようこそ!: イノベーションの正体見たり・・・

2012年2月19日日曜日

イノベーションの正体見たり・・・

今日は珍しく、発明よりは少し大きめの枠の話。

先日、京都ローカルのとあるTV番組に参加(出演というほどのものではなく、あくまで参加)させていただきまして、その討議を見て、改めて感じたことを。


門川京都市長と、同志社大学山口教授、村田教授他数名のパネラーで

「京都とイノベーション」

というような話でした(それが全てではありませんでしたが、僕が参加した部分はこの話です)。

山口教授が、京都ではなぜ1980年以降大きなベンチャーが生まれないのか、ということについて「共鳴を起こすためのネットワークがないからだ」というお話をされていました。それに関しては、著書「イノベーション 破壊と共鳴」にも書かれています。
山口先生の教養が満載でやや難解ですが、そのとおり、と思う所が多い本です。イノベーション論の中では、最も読みづらかった部類ですが、同時に最も腑に落ちた本の一つです。

この話を受けて村田先生から、リチャード・フロリダの「クリエイティブ・クラス」に関する話があり、そういう人材を集めてイノベーションを起こすには「トレランス(寛容性)」が必要だと。他パネラーから、京都の閉鎖性、大学の閉鎖性などの話がでて、割りと「もっとOPENに、ネットワークを作らねば」的な論調に。

そこで隣の参加者から「ネットワーク、異分野融合言うても、単に異分野の人間を同じ部屋に掘り込めばいいわけではない。人を集めて、会わせればいいんだ的な、箱物的発想ではどうしようもない」という指摘。全くそのとおり。

その後いろいろな議論があり、山口教授からは、共鳴を起こすためには「社長ができる人間を育てることが必要」とのところで、ほぼ終了。「その事業に命かけられる人間」が必要である、とのお話で、このあたりも、いつも言っておられることで私も同感です。おそらく、山口先生の意見としては、共鳴を起こせるようなネットワークのハブになる人材を育てなければならないということで、これはほぼすべてのパネラー・参加者の一致した意見だったと思います。

村田教授が最後に「意外とおもろかった」とおっしゃっていたように、「意外と」面白かったですね。


僕の個人的なまとめは、以下のようになります(あくまでも備忘録的なものですので、細かいところは簡便を)。

・フロリダの論はその通り(もっとも、最近あまり聞かないですが、、、)。京都に適用できる可能性は高い(今回は京都の話なのでご勘弁、もちろん京都以外にも適用できると思います)。問題は京都の閉鎖性とされている。フロリダはクリエイティブな人が集まってイノベーションを起こすには「トレランス(寛容性)」が必要と言っている。
・しかし、閉鎖性は「共鳴」という意味では悪くない。共鳴を起こすには、「エネルギーの高い人間」を「一定時間、位相があうまで閉じ込める」必要がある(レーザーのアナロジー)。
・つまり「単なる寛容」では十分ではない。「エネルギーの高い人間を一定期間閉じ込め(極端な閉鎖状態の維持)つつ、入り口は寛容」という矛盾を、更に高い次元で解決する必要がある。

ここで、僕自身の課題定義は完了です。

・僕の答えは「分子をそのエネルギーでより分けて閉じ込める、Maxwellの悪魔が必要」。入り口は開かれているが、エネルギーの高い人達をある一部屋に閉じ込める、まさに悪魔の役割なわけです。実際には、高いビジョン/理想を掲げそれに応じた貢献を求める、というモデルが、そのOne Way Valveの役割になるはずですが。
出入り口が完全にほったらかし(寛容)だと、エネルギーの高いものほど先に出て行ってしまって、やがて均一化して「熱死」にいたる(ボルツマンやエントロピーの論議)のですが、それでは、時間が経つと外部との境界のない、何の競争力もない「場」(会社なり都市)しかできない。不可逆なValveが必要という切り口は確定。
・成長するベンチャーは、まさにそれになっているわけで、それは中心となる創業者がその役割を担っている。

山口先生の議論に戻ると、

・「高い理想を掲げ」「極限まで(そして成功するまで)貢献とコミットメントを求める(自ら率先するのは当然=命をかける)」人間が必要。

ということですが、僕なりの解釈は、

・それこそMaxwellの悪魔。清らかな理想論と過酷な現実感覚を併せ持つ人なので、周りからは文字通り悪魔にしか見えないでしょう。

ということになります。

・エネルギーが高くても、閉じ込めなければ共鳴は起きず、散逸していく。
・エネルギーを散逸させず、閉じ込めて共鳴(自己共鳴含む)を起こせるか。もしくは、そのための友人がいるか

自分で自分が閉じ込められる人は、自己共鳴、自己共振を起こして更に高みに登ることもできるのでしょう。山口先生が番組中に引用しておられたハイゼンベルグを含む一部の天才達は、そういう人達だったのだろうと想像しています(ハイゼンベルグは、北海の孤島で修行中に真理に達したそうです)。

発明塾も「共鳴を起こす」場であり、その体験を持って「新たな共鳴の核になる」人材を育てることを目的にしています。体験がないと、命をかけられるほどの確信を持って共鳴の核になることは、難しいでしょう。

「イノベーションの正体は悪魔」ということで。