「発明塾®」へようこそ!: 発明塾京都第150回開催報告/京都大学「ものつくりセミナ」講義報告

2013年10月11日金曜日

発明塾京都第150回開催報告/京都大学「ものつくりセミナ」講義報告

若干手抜きで、今週の報告を。

1)京都大学工学部機械系「ものつくりセミナ」講義
川崎重工時代(注1)から、なんだかんだで15年ほど、毎年何らかの形で行っているわけですが、今年は「知財」を中心に、話題提供してきました。

この15年で、「エンジン設計」⇒「歯車設計」⇒「ナノテク/バイオ」⇒「知財/発明」と、めまぐるしくトピックが変わっていますが、伝えることは、いつも同じです。

・昨年の講義内容はこちら↓
「京都大学「ものつくり演習」講義報告」
http://edison-univ.blogspot.jp/2012/10/blog-post.html
「京都大学「ものつくり演習」講義レポートを読んで~在るために働く(B価値)」
http://edison-univ.blogspot.jp/2012/12/b.html

失敗を恐れず、成長できる環境を求めて、常に挑戦して欲しいですね。今年のレポートが楽しみです。

さて、今年は「知財」ネタを増やしました。一つは、IBM/NTTの特許交渉。もう一つは、IBM/富士通のコンピュータ戦争。

・「iPhoneとドコモと特許戦争」 週アスPlus 2013年09月09日
http://weekly.ascii.jp/elem/000/000/167/167921/

以下に、関連箇所を引用しておきます。
「日本最初のコンピューターが動いた1956年には、米国はもちろん、欧州の西側諸国を中心に、イスラエル、チェコスロバキア、オーストリア、ソ連でもコンピューターが完成していた。ところが、このコンピューター産業、1980年頃までに、米国以外では日本だけが生き残ることになる。その理由のひとつが、通産省によるIBMとの特許交渉(日本企業に利用を認めさせる)だとされる。 私は、担当者の平松守彦さんにインタビューしたことがあるのだが、1960年の交渉では外資法が日本側のカードだったが、1970年の交渉では、旧電電公社の特許による技術が交換条件となった。」

日本のコンピュータ産業が、かろうじて生き残れたのは、旧電電公社の特許のおかげ、ということでしょうか。IBMの攻撃をかわした、というその特許(群?)、どんな特許だったのでしょうね。

IBM/富士通については、既に紹介済みですので割愛します(注2)。


2)今週の発明塾
さて今回は、発明討議の後、原点に立ち返り「ドリル」的な問題を出しました。呆れるほど簡単な問題ですが、基本を疎かにしては、良い発明は出せませんので、日々トレーニングに励んで下さい。僕の指示する訓練を続ければ、必ず良い発明が出せるようになります。僕自身と、皆さんの先輩の出した実績が、その証明です。

では、次回も宜しく。



※ 注1)川崎重工時代は、僕自身が企画して、半年の「設計製図演習」を行っていました。以前もどこかに書きましたが、オートバイ/ジェットスキー(川崎重工の商標です)/バギーなど、ひと通りの部署から人を出してもらって、講義と設計/製図を行ってもらうという、贅沢な授業でした。僕自身は、オートバイのエンジンの部分を担当し、例によって「教科書づくり」をやりました。大学時代からやり続けているので、様々な分野の教科書づくりは、僕の「ライフワーク」の一つかもしれませんね。


※ 注2) 以下(特に注2)参照。

・塾長の部屋(51)~「IBMの知財戦略/戦える頭脳集団へ」
http://edison-univ.blogspot.jp/2013/09/ibm.html